ヒーリング・アート・リサーチ・チームの活動など (12/19, 2009)
- 黒人のメンバーさん達…
LaLaさんという素敵な女性、作業療法士で、アートによるセラピー活動をしているチーム・リーダーで、クンダリニー・ヨガの先生です。だいたい、水曜日は彼女がセンターにいて、訪ねてくる人たち(地域の患者さん達…)と病棟からやってくる人たち(以下、メンバーと書きます)を対象にして「ヨガ」の指導をしています。本人はこれとは別の場所に自分のスタジオをもっていて、ヨガの指導者なのですが、病院のセッションではヨガをそのまま指導するというよりも、メンバーの身心状況に合わせていろいろと工夫した展開になっていると思いました。
ちなみに、センターのスペースは、作業療法のための作業台というか、粘土をこねたり絵を描いたりする大きなテーブルがあり、その周りに座ってお話しながら手作業をするので、横になってヨガのレッスンをするためのスペースはあまりありません。空いているスペースに、羊のフカフカした毛皮やら毛布やらを敷いて、そこに座り込んでストレッチやヨガ的な動きと姿勢をすることになります。日本の病院もそうした体験的なワークをするためのスペースはそれほど確保されていないので狭いことが多いのですが、古都ロンドンも全体的に東京並みに狭いですね。というわけで、アメリカは別格として、まあ、どこでもそんなに快適な状況でセッションを行っているわけではない!!というのは、嬉しいような悲しいような発見でした。
参加者は…これは私が体験した範囲のことに限りますが…黒人さんが多いのです。モーズレイ病院のある地域そのものが黒人居住者か多い感じなのでそうなのか、とも思います。
*「黒人」という言葉は差別用語とされていますが、アメリカのように「アフリカン・アメリカン」とは表現できないので「アフリカン・ブリティッシュ」アフリカ系イギリス人と言うのかもしれませんが、そういう言い方は聞いたことがありません。というか、ブラックかどうかというような人種レベルでひとまとめにするような意識があまりないように感じます。ロンドンは白人・黒人・インド系・アラブ系・東欧ロシア系・中国系・東南アジア系・北西アジア系・南米系…と様々な人たちが流動している街なので、固定的に「人種」を切り口にして一束にするような意識があまり感じられません。これは個人主義の意識が強いこともあると思います。お互いに誰も周りの人に関心を示さない…少なくとも、具体的な用事がない限りはお互いに放置状態にあるので、その相手が黒人であろうとアジア人であろうとあんまり関係なく、ただの「他人」として無関係のようです。それと個人的な感じでは、人種的な差別は日常的な場面ではアメリカよりも薄いように感じます。…他人事という意味で。私も他のガイジンさんと一緒で、特に関わりがないときは同じように無視されるので楽ちんです(^_^;。
個人主義のことも少し書いておきます。これは主義主張ということよりも、「お互いに自分のことを中心にして生きている」「他人が困っていたりすると、気軽に手を差し出して助ける」「しかし、その後はまるで何事もなかったかのように、無関係の状態に戻る」「しかし、冷たいわけではなく…」。
日本でも都会では「お互いに自分のことを中心にして…」いるようですが、何かあったときの手助けのタイミングと関わりはイギリスよりも冷たく薄いように感じます。その割には、そうしたことを気持ち的に後まで引きずり続けるようなシツコサが感じられるのに対し、イギリスではサッと助けて,サッと自分の世界に戻っている…という「涼しさ」がありますね。
大きなアパートの半地下的一階に私の住まいがあります。自転車をそこに下ろすためには、まずアパートの入り口のカギを取り出して開けなくてはなりません。しかし,タイミングが良いと向こうから来た人がドアを開けて支えていてくれます。目を見てサンキューと言うと,向こうも儀礼的に笑顔を作ります。しかし、その後はすぐに何事もなかったかのように仏頂面に戻る…というのが普通の対応です。
バスに若い黒人女性が乗り込んできます。スーパーで買った買い物袋の大きな包みを6個くらい持ち込んでくるのですが、どうも彼氏らしい白人の若い男が手伝っています。しかしその彼氏はバスに乗らずに,バスは出発します。どういう訳か私とその黒人女性しか乗客はいないまま,バスは駅に着きます。「こんなにたくさん一人で持てないくらい荷物を買い込んで、どうするんだろう…」と、人ごとながら心配していると、全く心配はありませんでした。
駅に着くと、当然手伝ってくれるものです…という態度で、私は荷物運搬係を仰せつかり、重い荷物を駅まで一緒に運ぶのですね。バスの運転手には降りるときにサンキューと言います。返事をしてくれる人も居るし無視される場合もありますが、運転手と乗客はよく雑談していることもあるのです。このあたりは官僚主義的ではないです。小銭がないときなどには「…しようがない」という感じでタダで乗せてもらったこともあります。個々人が強いというか…。
関心をもたない個人主義。だからこそ、スッと手を出して困っている人を普通に助けること。駅の階段では、乳母車を持って上がっていくのを手伝うのは「当然のこと」になっています。どこが「個人主義」なの?!という感じになります(^_^;。
「個人主義なので,手伝う方も手伝ってもらう方も特に何も気にしていない」?!
黒人さんのことと個人主義のことを長々書いたのには理由があります。それは、頼まれて二度ほど、女性の閉鎖病棟でレッスンを依頼されたときにも、参加してくれた人はほぼ黒人。白人・東洋系の人が1-2名いたかな、という程度で他は全員女性でした。ちなみにその病棟で会ったスタッフは全員白人でした。(私は日本のダンスセラピストということですが、病棟でもセンターでも、何らかの有資格のイギリス人スタッフが居て…という状況であることを明記しておきます。)
センターは水曜日と木曜日に来訪者に開放されていて、私は木曜日の方が都合が良かったので,木曜日に行くと代表者のLaLaさんはだいたい多忙でおらず、ボランティアのMireiさんが部屋の管理(開け閉めとか)その他を担当していました。他のスタッフも三々五々やってきては、また用事のため三々五々居なくなる…という流動性の高い場になっていました。そこに
地域の患者さんらしい人たちが、やはり三々五々やってきては、その人のタイミングで適宜、帰って行く…という場でした。それぞれ、自分の事情と都合を中心にしている…。
そのため、その場の流れで私の身体心理的なレッスンを一つ二つ指導したり、あるいはスタッフも混じって一緒に体験してくれるとか、レッスンの形態も様々でした。(レッスンの内容についてはふれません。)
そこにやってくる人たちもやはり大多数が黒人さんで、それも全員、あり得ないくらい優しい人たちばかりなのが驚きでした。「ヒーリング・アート・リサーチ・チーム」による集まりなので、そうなのかな…とは思いますが、黒人さんについての私自身の印象はずいぶん変わることになりました。レッスンを通じていろいろな体験がありますが、詳細はやはり割愛いたします(^_^;。
- チーム・リーダーのLaLaさんとヒーリング・アート
LaLaさんはいつもふんわりとした白い上下の素敵な服装をしていて、これは後で別のクンダリニー・ヨガの人と会って分かりましたが、クンダリニー・ヨガに関わる服装のようでした。メンバーさんが来ると「まあ、粘土でもこねてください…」といって、粘土をぐるぐるこねてお団子を作りながら四方山話をします。そのうちに、タイミングを見て「絵を描いてみる」とか「身体を動かしてみる」とか自然に何らかのアート的なことへと向かうようになります。このあたりの自然な「お誘い」は素敵でした。
私は…長年、アートというものから自分自身を切り離していたようで、LaLaさんに自然に誘われて大きな画用紙を一枚渡されて…。「目をつぶって何か描いてみたら…」という言葉に誘われて、黒いペンを左手に持ち替えて画用紙の上にトンと載せた途端、身体が固まってしまいました。無意識の中で何かが猛然と動き始めて…。左手にもったペンを画用紙に突き立てたままの姿勢で、しばらく涙がにじみ出ていました。
出発する前に「イギリスに何をしに行くの?」というような脳天気な質問をした人から、「…アートに出会いに行くのね、きっと」と言われていたことを思い出していました。アート…。何かそういうような言葉で呼ばれる心の動きが、一気に満ちあふれていました。
LaLaさんは、「病棟に居る人たちは可哀相だ。窓から見ても殺風景なビルしか見えないし。毎日、決まり切った時間通りの生活をさせられていて…」と言い、病棟に入ったままの人たちを一人でも二人でも、外へ、自分のセンターなどへと連れ出して、生活を豊かにしたいと願っていました。そうした思いを実現するための方策として「ヨガ」ということと「アート」ということに力を見いだしていました。確かに、センターに来ている人が造った作品には素敵なものが多くあり、LaLaさん達チームは、それを写真に撮るなどして、病院の廊下などに張り出すという活動をしています。LaLaさんの写真には力があり、写真になったパネルはそれ自体がアート作品として素敵なのです。病院のレストランなどの壁にも大きなパネルが張り出されていて、素敵な雰囲気をつくりだしているのです。
私は…確かにアートというものから自分を遠ざけていました。たぶん、暗黒舞踏という世界に入る頃に、「からだ」ということへと専念するために必要だったのだろうと思います。名前も知られ何億円もするような商品としての価値によって判断されるアートではなく、生活の中にふと存在していて気持ちを和ませてくれたり鼓舞してくれたり揺さぶってくれたりするアート、そういう意味で、「生きているアート」というものにあらためて触れ直したと感じます。
広い意味で「ヒーリング・アート・リサーチ・チーム」によるアプローチに力を見いだすことができました。心理療法としてのカウンセリングという言語的な交流とは異なり、アート的な時間と場とそういう世界を見いだすこと自体に、人としてのあり方を高める・深める・広める・癒す…力があることを実感できたこと、それがモーズレイ病院の中の小さな場で体験できたことでした。
その前後に,メンバーさんの一人、車いすの中年男性で、黒画用紙へのクレヨン画が素敵で、本当に感動して友達になった親爺さんとか、いろいろな出会いと体験がありましたが詳しいことは自分の中にしまっておきます(^_^:)
- 病棟でのレッスン…
閉鎖病棟での活動を希望していたLaLaさんに,そこの担当者から「ヨガなどのレッスンをしに来てください」という依頼があり、私はLaLaのアシスタントして付き添うことになりました。セッションの内容は,ヨガの基本的な内容を一つ二つする程度で、それを足がかりにして身心のリラクセイションを行う…という展開でした。一時間程度のセッション時間では,これができるだけでもなかなかに素敵なことだと思います。
私はアシスタントして床に敷く毛皮・毛布の担当とか、かいがいしく?!立ち働いていました。
それからしばらくして、どういう訳か今度は私に対して「病棟でセッションを担当してください」と依頼が来ました。「?」というのが正直な感想です。どうして私にそういう依頼が来たのか全く分かりませんでしたが、話によるとどうも参加していたメンバーの誰かが私を指名した…ということらしいのです。「え゛、なんで?」というのがまたまた正直な感想です。
メンバーさんに私の存在が印象的だったらしい事柄とは…。
そういえば、体型的に床に座るのが厳しい状態の大柄の黒人女性に、私の毛布を提供して座りやすくしたこと。スペースが狭いので私の場所をドンドン譲ったこと、等がありましたが…。そうそう、もう一つ思い出しました。ワークショップの部屋は普通の絨毯張りの部屋だったのですが、部屋に入ったとき、暖房が異常に効きすぎていてひどく暑い状態でした。さらに、ヒーターのすぐそばにシクラメンの鉢があり、シクラメンがしおれてうなだれていました。あまりにも気の毒だったので、窓のすき間からの風の当たるところに移動させたついでに、涼しくしようと厚紙でシクラメンを扇いでいました…(^_^;
。これは印象に残ったかもしれませんね!
女性閉鎖病棟では2回、依頼されてワークをしてきました。(残念なことに、他の用事と重なり、モーズレイ病院にはあまり行けなくなりました…)。ディケアやセンターでの地域のメンバーさんとは異なり、やや症状が重いメンバーが多く、あんまり気軽にレッスンを進めるわけにはいかない状況でした。反響言語の人とかはこちらの言うことをそのまま反復したりするので、これでは外の世界ではやっていけないレベルの人たちですが、やはり黒人さんの参加が多いのです…。
これについては無責任なことは書けませんが、深い感性のある人たちが含まれていた…とだけ書いておきたいと思います。そうした感性では確かに、大都会のロンドンでメカニカルに生きていくのは難しいかもしれない…と。
(*精神科病棟では、一般に、長期入院の統合失調症の方が多数を占め、軽々に社会に出られない症状や事情がある方が多く含まれています。念のため。なお、病棟にしてもセンターにしても、有資格者のスタッフが複数いる状態でセッションが行われています。)
* 都会に住んでいない私。日本の住所は札幌市ですが、山と海に近いのんびりした地域の住人です。ハートフォードシア大学があるHatfieldという街は、ロンドンから電車で30-40分くらい。札幌で言えば、郊外の「あいの里」にある教育大学のような感じの地域なので(^_^;)ノンビリ生活できています。
私は東京や大阪に出かけるとひどく疲れて帰ってきます。人の多さと騒音と慌ただしさと…。ロンドンも全くそうです。ロンドンに出かけて、学園都市・ベッドタウンのHatfieldに帰ってくると本当にホッとします。大都会で疲れる理由は、人が多くてうるさくて慌ただしいからですが、もう少し詳しく言うと、どこにも人が居ない…からです。ほとんどの人が自分の用事を果たすために、「その目的に向かって移動している途中」というメカニカルなあり方をしているから、だと感じています。人としての交流をする余裕もそういう状況にもないこと…。
暗黒舞踏の創始者、土方巽も「東京には人が居ない」と書いていましたが、それに近い感じかもしれません。
(C)Toshiharu Kasai 2009 無断転載を禁じます。
visiting researcherとして下記にて研究しています。
School of Psychololy University of Hertfordshire, UK
(C/O) Professor Helen Payne, Meridian House,32 The Common,Hatfield, Herts AL10 0NZ, UK
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