[紀要論文]

葛西俊治「身体心理療法」2009
〜イギリス通信〜

認知行動料療法(シービーティー)と精神分析


    イギリスの心理療法「認知行動療法」と精神医学について(8/17, 2009)

  • シービーティー(Cognitve Behaviour Therapy)隆盛の理由

    イギリスの精神医学および臨床心理学の総本山と目される精神医学研究所(Institute of Pschiatry)には全部で10学科あるとのことですが、その中の「心理学科」がシービーティーの拠点と言われています。1990年代からイギリスの心理療法がシービーティーに移行した最大の理由は、1)政府の健康管理の方針による、2)効果を実証的に示したのがシービーティーだった、という二つといえるでしょう。

    1. 日本の厚生労働省にあたる部署はNHS(National Health Service)といい、「エヌ・エッチ・エス」という略称は現時点では特にスワイン・フルー関係の話でメディアによく登場します。この部署は、最小限の経費で「国民の健康」をどう確保し実現するかという、極めて実践的な姿勢に徹しています。実はそうした政府の姿勢が、「エビデンス・ベース」(Evidence Base)つまり、科学的に実証された証拠に基づいて健康管理を進めるというものです。(もともと実証的で実際的な風土のイギリスなので当然といえますが、予算の逼迫という状況も関わっていたといえるでしょう。)
      簡単にいえば、精神療法なり心理療法なりで効果を科学的に実証したものが政府の精神保健施策の中心的アプローチとなったわけです。

    2. 1990年代から、「心理学科」の中で、そうした実際的な方向で有効性を証明してきたのが、シービーティーでした。不安障害関係への認知行動療法の有効性の実証とともに、統合失調症に対する認知行動療法の有効性の実証とが結びつき、2000年頃には一大勢力となったとされます。

      有効性が確認されているのは「ウツ(depression)、パニック障害(panic)、不安障害(anxiety disorder)、恐怖症(phobias)、強迫神経症(obsessive-compulsive disorder)、ストレス後心的外傷障害(PTSD)、過食症(bulimia)、(ある種の)人格障害(personality disorder)など」となっており、一部効果が証明されているのが「拒食症(anorexia)、統合失調症(schizophrenia)、双極性障害(bipolar disorder)など」となっています。
      (出典"An Introduction to Congnitive Behaviour Therapy: Skills and applications" by D. Westbrook, et al. SAGE 2007)

      また同書には、UK National Institute for Clinical Exellence (NICE)、イギリス国立クリニカル・エクセレンス研究所という部署についての説明があり、有効性のあるセラピーを調査して政府NHSに推薦する機関とされています。それの推薦によるものにも、「シービーティーは、統合失調症、ウツ、過食症、不安障害およびパニック障害、PTSD」に有効であると推薦されています。(PTSDにはEMDRが有効であることも指摘されています)
      個人的な感想

      • 政府の施策として、統計的に有効性が示されているアプローチを精神保健の中心に据えるというのは、国民という集団を統計的に扱っていく観点からは「それ以外の選択の余地がない」という意味で当然と思います。ただし、「有意水準5%水準で有効」という統計的検定は、簡単に言えば5%の間違いの危険性を含んだ上での判断です。これは、「シービーティーが有効だ」という論文が14本あるとすると、その論文すべてが正しい確率が5割を下回る程度に危ういものです (なお、有意水準1%で判定している場合は、そうした論文が68本あると、それらがすべて正しい確率が五割を下をまわる)。つまり、シービーティーを中心的アプローチとすると同時に、それによって届かない対象者や領域をカバーする副次的なアプローチをどう確保するかという施策が必要となるはずです。

      • ロジャーズ流の「非指示的療法」について勉強してきた古い人間から見ると、シーピーティーの解説書は本当に「ハウツー」もののマニュアル本にしか見えないところがあります。(現場の専門家は専門家として微細なところにまで目を届かせているわけでほすが、活字にした本だけを眺めると…という意味です)。実際、シービーティー関係の本を何冊か続けて読んでいくと、まるで新興宗教のように「あなたが何々なのは、あなたの何々が問題だからです」「したがって、こうするとよろしい」という流れになるところは、(内容はともかくとして)話の展開は、教育・指導・学習という訳ですから、「力一杯?!指示的療法」な感じがどうにも気になってしまいます。

      • エビデンス・ベースという統計的アプローチと同時に、こうしたアプローチが有効ではない人たちについての、質的分析(なぜ有効でないのか…)をきちんと進めていく必要性を痛感します。ダンスムーブメント・セラピーもそうですが、多要因が関わる場合、シービーティーが効いたのか、そういう指導をしていたセラピストの個人的力量なのか,それ以外の何かの要因なのかを丁寧に拾っていくという手間のかかる作業を伴うわけですけれども。

      • 対症療法と根本的療法という方針の違いを考える必要があります。対症療法では症状自体が軽減する・消滅するという変化を追えばよいので研究しやすい対象です。それに対して、セラピーの結果として人格的な部分に及ぶ変化が起きるようなアプローチの場合、そうした変化とその結果を早急に把握するのは原理的に難しいものです。数週間〜数ヶ月あるいは半年程度で効果が明確になりそうなシービーティーと比べると、より人格の中核に近い部分でのセラピーの効果の研究にはかなり時間と手間がかかるので、「効果の証明(エビデンス)」を短期間で得るのが困難な状況にあるといえます。
        なお、たとえ話ですが、木の枝先の角度が10度変わることと、木の幹の角度が10度変わることは、表面的には同じ効果に見えます。しかし、木全体のしなり具合をみると、枝先の10度の角度変化からは例えば数十センチ程度のしなりの変化が起きるのに対して、幹の角度が変わるならば、たぶん数メーターになるほどの大規模な変化が起きることが考えられます。
        つまり、対症療法的なアプローチの変化の全体量と比べて、パーソナリティの根本に関わるセラピーによる変化の全体量は圧倒的な大きくなる可能性が考えられます。その場合のセラピーの費用対効果はあらためて検討する必要があるわけです。
        いずれにしても、どちらが正しいとかではなく、それのどちらかの適切な方をクライエントなりセラピスト側が選べること、あるいは政策的には、セラピーのベストミックス(最良の組み合わせ)をどう実現していくか…だと考えています。(8/20,2009)

      • なお、「医学的に説明されない症状(Medically Unexplained Syndrome: MUS)」について、ダンスムーブメント・セラピーDMPが有効だったという報告のように、有効性が実証されれば政府NHSによる承認を受ける可能性がある…という意味では、イギリス政府のエビデンス・ベースの精神保健施策にはそれなりに柔軟性があるともいえます。

  • 精神分析およびユング派の凋落?!

    これについてはまだきちんと把握していません。なお、政府NHSの実証的方針の中で科学的ないし統計的に効果を証明するのが困難なアプローチは、イギリス政府内での地位を落とすことになりました。(なお、日本ではユング派はよく知られていますが、イギリスではこれまでのところほとんど聞くことがありません。)
    後日あらためて追記したいと思います。

visiting researcherとして下記にて研究しています。

(C/O) Professor Helen Payne,
Meridian House,32 The Common,Hatfield,
Herts AL10 0NZ, UK
School for Social, Community and Health Studies,
University of Hertfordshire, UK


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