葛西俊治「身体心理療法」2009-2010
〜イギリス通信〜


  1. ケンブリッジ・フルボーン病院 アート・セラピーチームへのワークショップ指導(1/12,2010)

    • ケンブリッジにある精神科の Fulbourn病院は、1858年に開設した歴史のある精神科病院です。写真の建物はビクトリア調のメインビルディングですが,その周囲の広大な緑地のあちこちに様々な建物が分散して建っています。私が訪問したのは、アートセラピー・チームが精神科の治療を行っている平屋の建物でした。Silvanaさんというダンスセラピストは,長年そこで働いており、ヘレン先生のお弟子さんの一人でした。何度もメールのやりとりをして、ようやく双方の日程が合って訪問し、私のダンスセラピー的なワークショップをそこのスタッフを対象にして指導することになっていました。

    • フルボーン病院メインビルディング

      ★続きです。

    • 朝の10:00から始まるスタッフ・ミーティングに参加するように言われていました。スタッフ・ルームの円卓を囲んで、コーヒーや紅茶とパンやスナックなどを頂きながら、十数名が簡単な事例報告・インテーク報告をしていきます。Silvanaさん以外は、基本的にミュージック・セラピストかあるいは大学で音楽療法を勉強中の院生(3-4名)でした。報告内容は,前回に来所した際のクライエントさん達の状況の報告と、それに対してケンブリッジ大学の指導教官のHelen教授と、精神科医のDavid先生がコメントを与えていきます。
      その日に来所する予定の7-8名について、1時間程度の枠で報告し議論をするので、一人について話し合う時間はそれほどなく、教授も精神科医も何度も「きちんとアセスメントをしたか」という点を確認しながらの話し合いでした。私も札幌学院大学の臨床心理学研究科の事例検討(毎週一回、三時間)には、講義や用事がないときには出席しているのですが、フルボーン病院のアート・セラピーチームでの検討は時間が短いことと、精神疾患や本人の状態についての議論が全体的に浅い印象を受けました。

      * これはイギリスでの私の個人的な印象ですが、どうもイギリス全体が忙しいようで、一つのことにかける時間がひどく短い…という印象をもっています。(ロンドンなどの大都会は話すスピードが速いので、イギリスの都会では「速い」ということかもしれませんが。) フルボーン病院のケース報告についても、短い時間でのやりとりでは浅い感じになるもの仕方がないとも感じました。フルボーン病院自体は、状態が軽い方ではない患者さんを対象にしているので、そのときのようなやりとりの内容では,本当に不十分な感じをもってしまいました。ただし、これは大学などでの指導としての「事例検討」と、病院などの忙しい現場でのそれとの違い…というように考えるべきなのでしょう。

    • ケース報告と議論が一段落してから、Silvanaさんがダンスセラピーに用いている部屋で10数名を対象にしてのワークショップを始めました。カーペット敷きなので靴を脱ぐわけですが、基本的に靴を履いた生活をしているイギリス人は、人によっては人前で靴を脱ぐことに違和感をもつ人も多いです。ロンドンのモーズレイ病院でもそうでしたが、靴を履いてイスに座っている」状態から「靴を脱いで、地べたに座り込む」という姿勢の変化には様々な抵抗がありました。

      そこはもちろん精神科領域のスタッフなので、こちらのペースに合わせてくれるわけですが、10数名の参加者のうち、ダンスセラピストはSilvanaさん一人で,他は基本的にミュージック・セラピストなので、身体的な訓練や身体感覚的なレッスンを系統的に受けてきているわけではない人達でした…。正直に言って、基本的なアプローチのみで十分だと分かったので、当初予定していた、身体感覚的に深いところまで進めるアプローチはとりやめることにしました。

      1時間を三つの局面に分けて、最初の「身体的・社会的ウォーミングアップ」に続いて、「腕の立ち上げ」を用いた「リラクセイション」の第二局面に移り、最後にあらためて,参加者同士の社会的な関係の中に戻っていくための第三局面、という通常の展開となりました。第一局面では、全員が汗ばむほど動く中で爆笑が頻発し、第二局面のリラクセイションでは、ほとんど全員が「落ちて」いました。(数分から10分くらい睡眠状態に入ったこと)

      一時間の体験レッスン後に30分ほどのシェアリングの時間をもち、感想などのやりとりと教授(途中で所用のため退出)と精神科医からのコメントと議論となりました。一言で言えば、ボディラーニング・セラピーとして行って来た私のアプローチは、予想以上に効果的だったことと、全員そのことに驚いたということになります。

      ワークショップ後にダンスセラピストのSilvanaさんと個人的に話す時間がありました。彼女は「…身体的なアプローチはこのくらいまでの効果があるのよ…」と鬼の首を取ったように上機嫌でした。身体的な訓練とアプローチを長年実践してきたベテランのダンスセラピストから,"Quite good!"と言ってもらえたのは私にとっての勲章のようなものでした。今度は実際に患者さんを対象にしたワークショップをしてみては…と勧めてくれました。ありがたい申し出ですが、イギリス語の口語を十分に聞き取る能力がついたわけではないので…と少し躊躇。

    • ワークショップ後、Silvanaさんはすぐに患者さんとセッションの時間になったため、私は街から離れているフルボーン病院からどうやって駅まで戻ろうかと思案していました。すると、様子を見ていた精神科医のDavid先生がわざわざ車を出して送ってくれる…という流れになりました。Cambridgeは小さな街で、道路も狭くいつも車は渋滞気味ですが、その日ものろのろとしか進まないので、車の中でDavid先生とフルボーン病院について、イギリスの精神科領域のセラピーについて、いろいろと話を聞くことができました。

      何でも、David先生はフルボーン病院一筋の人で、20数年間勤めているということでした。1980-90年くらいまでは、「Social Therapy」という、、患者グループの中に社会的な関係を育成するというアプローチが中心だったそうで、「そのころにイギリスに来ていたら、タイミング的にkasaiのアプローチはピッタリだったと思う」とも言ってくれました。NHS(イギリスの厚労省)が,精神科医療についての方針を変えて、個々人に対するセラピーの効果を重視するようになってから、Social Therapyは適用が難しくなり(病院の収入面における不利な状態があったそうです)次第に無くなり、個人セラピー的なアプローチへと移行した…といった内容でした。精神科医療は、どこの国でも最善のアプローチをしているというよりも、精神科医療についての国レベルでの政治的な位置づけに翻弄されるのだ…と少し嘆息させられました。

      先ほどのワークショップ体験はDavid先生にとっても大変に良い刺激的だったようで、私のアプローチの中で「安全で安心な場を作り上げる」という点については、さすがにイギリスのD.Winnicottの「holding environment」の話へと話題が展開していくのは、当たり前といえばそうですが、実に自然な感じがしました。
      今回のワークで、最初にカーペットに腰を下ろした状態で始めたことを、「手足の機能が十分ではない、水中の生命体的なレベルから座り・立ち上がり、他の参加者と関係的なレッスンをする」という観点から、生物の進化と社会化の過程とを二重映しにしながら見ていた、という素敵なコメントをもらえました。体験を自分なりにきっちり理論的に把握するというのは凄いものだと、あらためて感じました。

    • * この日は夜にロンドンで舞踏ダンスメソドのワークショップがあるので、結局、今回もケンブリッジ大学などの名所・旧跡には行くことができませんでした。何度も来ているのに、ケンブリッジ観光…ということを全くできないでいるというのも凄いかもしれません(^_^;。



visiting researcherとして下記にて研究しています。

(C/O) Professor Helen Payne,
303 Meridian House,32 The Common, Hatfield,
Herts AL10 0NZ, UK

School of Psychology,
University of Hertfordshire, UK


(C)Toshiharu Kasai, 2009-2010 All Rights Reserved.
無断転載をお断りいたします。